アルペンザルツの故郷は、
かつて白い金と呼ばれた岩塩の産地
バート・ライヒェンハル
(Bad Reichenhall)
ドイツアルプスの麓の豊かな自然に恵まれたベルヒテスガーデン地方にある、アルペンザルツの原産地「バート・ライヒェンハル」で塩が発掘され始めたのは、石器時代と言われています。
その後ローマ時代を経て、ドイツアルプスの岩塩は「白い金」と呼ばれて広く知られ、取り引きされるようになりました。
バート・ライヒェンハルの、「ハル」は古代ケルト語で「塩」を意味し、「ライヒェン」はドイツ語で「豊か」を意味します。
2億5000万年もの時をかけて形成された
天然の岩塩層からつくられる岩塩
-
アルプス山脈は、約2億5000万年前の地球の地殻変動により形成されました。海底の隆起と沈下により、海水が陸地に閉じ込められ、塩水湖ができました。
-
数百万年もの長い時を経て、水分が蒸発し濃縮されます。溶解度の違いにより、まず石灰質のような溶けにくい炭酸化合物、次いで硫酸化合物、最後にカリウムという順に沈殿し、堆積されていきます。
-
さらに長い時をかけた堆積により、太古の自然な栄養分がそのまま詰まった岩塩層となっていくのです。
-
現在、バート・ライヒェンハルを含むベルヒテスガーデン地方は、国定公園に指定されています。豊かな自然を保護しつつ、開山から500年を越えた鉱山の奥深くでは、岩塩の採掘が今もなお続いています。
岩塩層からドイツアルプスの天然水によって溶かし出した塩水を麓まで送り、山に囲まれた近代的な工場で煮沸して不純物を丁寧に取り除いたうえで、岩塩を再結晶化して皆様へお届けしています。
バート・ライヒェンハルの歴史
古くからバート・ライヒェンハルを含む、
ベルヒテスガーデン地方一帯には、
塩を巡る長い歴史があり、都市の誕生と
発展に大きく関わってきました。
石器時代
バート・ライヒェンハルで塩が発見されたのは、石器時代といわれています。当時の人々はザールアッハ川岸の石を舐めている動物を見て、水に溶けて地下から地表に出てきた岩塩に気が付きました。
紀元前〜6世紀
岩塩が溶け込んだ地下水からの、再結晶化による製塩を本格化させたのは、紀元前にアルプス東部を支配していたケルト人と言われています。紀元15年にローマ帝国がこの地を征服すると広域で道路網が整備され、バート・ライヒェンハル周辺からの塩の交易が活発になりました。6世紀に入り古代ローマ帝国が衰退し、当地が現在のバイエルンの名前の元となるバヴァリア人に支配された後も、塩は貨幣の代わりになるほど、経済に大変重要な役割を果たしていました。
7世紀
紀元700年頃にバイエルン公爵テオド2世がキリスト教布教の為、バート・ライヒェンハルの岩塩泉の権利1/3と製塩設備を教会に寄付しました。また当時司教であった聖ルパートは、製塩設備の刷新や、塩の交易システムを整備・発達させた功績により、現在もバート・ライヒェンハルの守護者と崇められています。
12世紀
1158年、バイエルン・ザクセン大公であったハインリッヒ獅子公は、フライジング司教区が管理するイザール川にかかる橋を破壊、そこから少し離れた場所に新たな橋を建設して通行料を独占するという暴挙に出ました。当然司教は激怒し、神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ・バルバロッサに提訴しました。皇帝バルバロッサは新しい橋はそのままとし、得た収入の1/3を教会へ支払えという命令を課す事で両者を和解させました。これにより新しい橋の存在が正式に認められたため、橋の周辺には住民が増え、市場が作られ、ドイツ南部最大の都市ミュンヘンへと発展していきました。
〜19世紀
16世紀に入り、歴代のバイエルン公爵達が塩交易の独占をもくろみ、バート・ライヒェンハルの製塩所の増強や技術の革新に取り組み、1517年には、現在も採掘が続く岩塩鉱山が開山しました。
1816年にバイエルン政府による塩の独占販売が廃止されるまで、バート・ライヒェンハルで取れる塩はバイエルン政府の大きな収入源でした。
現在
現在、バート・ライヒェンハルを含むベルヒテスガーデン地方は、国定公園に指定されています。豊かな自然を保護しつつ、開山から500年を越えた鉱山の奥深くでは、岩塩層の採掘が今もなお続いています。
岩塩層からアルプスの天然水によって溶かし出した塩水をドイツアルプスの麓まで送り、山に囲まれた近代的な工場で煮沸して、不純物を丁寧に取り除いたうえで、岩塩を再結晶化して皆様へお届けしています。